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自己紹介

  • 執筆者の写真: naohisa
    naohisa
  • 2023年4月25日
  • 読了時間: 5分

更新日:2023年11月26日

自己紹介

1984年生まれ。6歳の時に両親の離婚により母1人、子1人の家庭で育つ。


中1の時に近くの古本屋で月刊ムーと出会い、超古代文明(特にオーパーツ)にトキメキを覚え、将来の夢を考古学者か宇宙飛行士か発明家に定める(親はお医者さんが良いんじゃないの?と、謎の刷り込みを仕掛けていたが)。

しかし、中2の時に謎の視力低下により眼鏡になり泣く泣く宇宙飛行士の夢を断念する。


高校は、普通高校でなく受かってしまったので約2時間かけて高専に通う。学科は物質工学科。卒業研究では、生物有機化学の研究室で「ナシ黒星病菌の病原物質の単離・同定」というテーマに取り組み、初めて科学的なアプローチに触れ、研究者を志すようになる。


その後、極限環境に住む微生物の研究がしたいという理由で大学に編入学するが、初めての一人暮らしがなにやら楽しすぎて遅咲きの大学デビュー。野外活動クラブという伝統のサークルに入ることになり、野外で友達とめちゃくちゃ遊んだ。編入組の仲間とも毎週のように飲みまくる。この頃、様々な宗教について興味を持ち出し、気や精神的な世界の探究、また幽体離脱にチャレンジしたりしていた。


大学の研究室では、宇宙空間での植物栽培か、閉鎖型環境での生態系の維持システム構築という研究室で悩んだが、結局、当初の予定通り極限環境微生物の研究室に入り、進化工学的アプローチを用いてタンパク質の熱安定性について、4年間研究を行った。


そこから、就職するか迷ってほんの少しだけ就活をしてみたが本当にエントリーシートを書くのが嫌いすぎて、研究に逃げた。


そして、博士を目指すこととした。博士課程では大学を変えて、もう少し世の中の役に立つような研究をしようと思い、発酵によって木から効率良くバイオエタノールを作る研究(第二世代バイオエタノール)に取り組んだ。この研究は、博士を取った後も含めて5年間行ったが、政府含めてなかなか日本社会の風潮が追いつかなくて、そのような開発を行う大企業はなく、微妙に熱が冷めてしまったので、大学の特任助教の話が来たこともあり、別の研究室に移ることになった。


そこでは、新しいオリゴ糖の探索・酵素合成・機能性(免疫学・腸内細菌叢への影響)について研究した。あんなにマウスをさばくことになるとは夢にも思わなかった。。。たまに遊びでマウスに気を流していたが、そういったマウスは飼育中にあまり毛が抜けなかった気がする。気のせいか。。。

その間、JAMSTECのD先生に一緒に研究したい働かせてくださいと何度かオファーしていたが、申請書が通らなくて、なかなかに社会の厳しさを体感した。D先生の「人類に残された最後のフロンティアは深海である。」という言葉がかっこよすぎて、自分の研究者人生にバシバシ刺さった。後で知ったが、ある映画に出てくる言葉らしい。


そんなこんなで、のらりくらりオリゴ糖の研究室で学生指導と研究を楽しんでいたが、とあるベンチャー企業がかなり勢いを持って本格的にバイオエタノール製造の研究開発を始めたぞというニュースと共に研究員として募集してるということで、そちらに移ることにした。ちょうど、大学という場所がなかなか昔の環境じゃなくなって頑張っても将来性が暗いと感じていた時期でもあるから、タイミング的にバッチリだった。その時のボスに俺はいつか起業すると言って、大学の研究室を出て群雄割拠の研究者集団の中へ修行しに行ったのだった。最初はキツかったが結局楽しいベンチャー企業だったな。10数名、ほぼ全員が博士。濃いキャラばかりだったな。


そこでは、酵素の実生産、生産プラントの運転、バイオマス調達、企画書作成など、かなり実務的に意味のあることに取り組んだ。真冬早朝のプラント運転はキツかった。でも、危険と隣り合わせのプラント作業、意外と楽しかった。


しかし、やはり政府方針はまだまだ堅く動きが鈍い。本当に日本政府はチャレンジすることを嫌うようだ。宮台真司風に言えば、ヒラメ・キョロ目の劣等感ばりばりなんだろう。政府・役人は。たぶん、自分で何かチャレンジして発見したことがないからなぁ。どうしようもできない。


そんなこんなで、そのベンチャーを辞めることになるのだが、最後の方は、本当に好き勝手研究させてもらった(個人的にではなく研究テーマはもちろん企業方針にそって)。そして、最終的に、本当のエコとはなんぞやという問いから、「ヘンプ」という言葉が導き出され、ヘンプの研究をしようと思い立った。そしたら、中国の会社なんだけどヘンプの研究開発をしていこうとしてる会社があるということで、そこに行くことにした。いろんな経験を積んできたので、そこでは研究開発のリーダーになろうと思って交渉したら、あっという間に採用、執行役員になることになった。これが2019年の話である。


そこから、あっという間にコロナ下となるのだが、本当にコロナ禍だった。人間追い詰められた時に本性が出るというが、結局、コロナ下での会社の方針があまりにも納得いかなくなって、その会社は、ちょうど1年くらいで辞めることにした。


そこから、少し落ち着いて、起業することに決めたのだった。とりあえず個人事業主から。屋号は「里地化学研究所」。里地・里山を化学するという意味である。英語名は「Satochika」。



そして、ヘンプの石けんを作ろうと思って、工場を建設して、化粧品製造業の許可を取って、ヘンプ栽培を国内でも推進できるように、しっかりしたプロダクトを作ろうと思って、資金を集めをしようと思った時に、千葉に住んでいたことから千葉の県の花が「菜の花」であることを知り、まずは菜の花石鹸にしようと思い立った。資金集めの点からもベストチョイスだったと思う。


そして、2023年現在、ようやく「Satochika®︎ Soap 菜の花」が販売できるようになったのである。


以上が、杉本直久の自己紹介である。

エントリーシートは20歳そこそこで書ける方がどうかしてるといまだに思ってる。3行しか出てこないわ。なぜ、あなたは入社したいのですか?そんなの知らんわ。テーマのみ興味がある。以上。そして、逆に聞きたい。なぜあなた達、大人は私をとりたいのですか?募集してるのはあなたたちですよ?




 
 
 

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